パウロ:迫害者から伝道者に キリスト教を世界に広めた立役者
イエスに任命された12弟子(イスカリオテのユダの離脱後、マッテヤという弟子が加えられた)のほかに、パウロとバルナバという弟子だけが、聖書の中で「使徒」と呼ばれていますが(使徒14・14)、12弟子とパウロの間には、明確な違いがあります。それは、パウロがイエスの使徒となったのは、イエスが十字架にかかって死に、よみがえって天に昇ったあとのことであり、それまでは、12弟子を始めとするキリストの信者たちを迫害する者だったということです。
パウロ(別名サウロ)は、パリサイ派のユダヤ人で、著名な律法学者のもとで学んだエリートの学者でした。彼は、旧約聖書が預言している救い主がナザレ人イエスだとは信じていなかったので、イエスを神の子・救い主だと触れ回るキリスト教徒たちは、神に対する許し難い冒涜を働いていると考えていました。
そのため、パウロは教会を襲っては信徒たちを引きずり出し、次々と牢に入れていました。パウロは「主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き」(使徒9・1)と聖書は記しています。そして、大祭司の許可を取って、さらに多くのキリスト教徒たちを捕らえようとダマスコという場所に向かっていたとき、彼の身に思いがけないことが起こりました。
突然、天からの光がパウロを照らし、天から「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」(同4節)という声が聞こえてきたのです。パウロが驚いて「あなたはどなたですか」と問うと、声は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答え、「立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる」(同6節)と指示を与えました。
地面に倒れ伏していたパウロが起き上がると、彼の目は見えなくなっていました。一方、ダマスコにいるアナニアという弟子のもとに、幻の中でイエスが現れ、サウロを訪れて、もう1度目が見えるようになるようにしてやりなさい、と言います。キリスト教徒の中にサウロの悪名はとどろき渡り、恐れられていたので、アナニアは、「私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなひどいことをしたかを聞きました」(同13節)と異議を唱えます。しかし、イエスが「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です」(同15節)と重ねて命じたため、アナニアは言われたとおりにしました。
アナニアがパウロの上に手を置いて「主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです」(同17節)と言ったとき、パウロの目からうろこのようなものが落ちて、彼は再
び見えるようになりました。「目からうろこ」ということわざは、聖書のこの箇所が起源となっています。
大伝道者パウロの誕生
パウロはこのときから180度の方向転換を遂げ、命懸けでイエス・キリストの福音を宣べ伝える者となりました。パウロは、それまでユダヤ人だけのものだった聖書(旧約)を、ユダヤ人以外の全人類(異邦人)に届けることを、神から与えられたおもな使命として、生きることになりました。
パウロの元の同僚たちは彼を裏切り者と見なし、また、その大きな影響力を恐れて、彼の命をつけ狙い、何度も殺害計画を立てました。それに加えて、当時の交通事情の悪い世界で、宣教のためにあちらこちらを飛び回ったパウロは、たびたび難船にも遭いました。また、ほかのキリスト教徒同様、ローマ帝国からの迫害も受けましたが、捕らえられて牢に入れられたときでさえ、キリストのために働き、苦しめられる身の上を光栄に思い、喜びました。
新約聖書の後半に収められている「○○人への手紙」と題された数々の書の大半は、パウロがその地の教会に宛てて書いた手紙です。パウロはそれらの手紙の中で、イエスの教えを体系的にまとめ、生まれたばかりの教会の無知や誤解、過ちを正し、教えました。現代に生きるクリスチャンたちも、パウロが残したこの手紙を通して、イエスの教えを理解するという恩恵に浴しているのです。
ペテロと同じようにパウロも、その最期について聖書には詳しく書かれていませんが、殉教したと伝えられています。