《聖書バトルvol.3》子をめぐる跡目争い
ピーテル・パウル・ルーベンス作「アブラハムの家を去るハガル」
神からの「子を与える」との約束よりも、自分の知恵を優先させて、家庭は大混乱。
聖書には、「信仰の父」と呼ばれる人がいます。それは、75歳のとき神に、「生まれ故郷を出て、わたしが示す地へいきなさい。そうすれば、私はあなたを祝福し、地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」と約束されたアブラハムという人です。
神はこのアブラハムの子孫をイスラエルという民族にし、イスラエル民族を通して世界中のすべての人に祝福を行き渡らせるという計画をもっていたのです。
ところがアブラハムには子どもがいませんでした。子どもが生まれなければ約束の実現はありえません。しかし、アブラハムは神のことばを信じ、妻のサラを連れて故郷を旅立ち、神の示す地を目指しました。
アブラハムとサラは、神が約束してくれたからには、そのうち子どもを授かるのだろうと待っていたのですが、10年たってもサラは身ごもりませんでした。すでに高齢だったサラはしびれを切らし、夫に、自分の女奴隷ハガルとの間に子どもをもうけるように勧めます。これは当時の社会の習慣から言えばそれほど突拍子もないことではなく、サラとしては、神の計画の手助けでもしているつもりだったのかもしれません。
ところが、アブラハムがその提案を受け入れ、ハガルが実際に子どもを身ごもると、女主人と女奴隷の間で「大奥」を彷彿とさせるいじめが始まりました。きっかけは、妊娠したハガルが増長したことでした。女主人より優位に立ったかのように、サラを見下げるようになったのです。サラは激怒しました。その怒りの矛先は、まず夫に向かいました。
この計画はサラから出たものであり、アブラハムは言いなりになっただけだったのですが、サラはハガルが思い上がったのは「あなたのせいだ」と夫を責めます。このことばには、「あなたが必要以上にハガルを重んじたからだ」と揶揄するような、妻としての嫉妬が感じられます。アブラハムはそれを否定するように、「彼女はおまえの女奴隷なのだから好きなようにすればいい」と、介入する気のないことを明言しました。
ゲオルゲ・タッタレスク作「天使とハガル」
神の約束を待てず子孫同士が争うことに!!
するとサラは猛然とハガルをいじめ始めたため、ハガルはたまらず逃げ出しました。元はと言えば、神の約束を全部字義どおり信じることのできなかったサラが自分の考えでかってに始めたことに端を発していることを思えば、ハガルも気の毒なように思えます。もとより、身重の女奴隷が主人のもとを逃げ出したところで、生きていくすべはありません。
荒野の中の泉のほとりでハガルが途方にくれていると、御使い(天使)が現れ、彼女に話しかけました。御使いは、「女主人のもとに帰って謙遜にしていなさい」とアドバイスするとともに、彼女のおなかにいるのは男の子なので、産まれたらイシュマエルと名前をつけるように、と言います。ハガルは言われたとおりにサラのもとに戻り、男の子を産み、アブラハムはその子にイシュマエルという名前をつけました。
神はその後再びアブラハムの前に現れ、彼を「国民の父」とするのはイシュマエルではなく、サラが産む子どもだと念を押します。奇跡でも起こらないかぎりそんなことはありえないと思っていたサラですが、奇跡は起こりました。それから15年後、本当にサラは男の子を産むのです。
アブラハムはその子にイサクと名前をつけました。イサクは順調に成長し、乳離れをする時を迎えると、盛大な宴会が催されました。ところがその日サラは、ハガルが産んだイシュマエルがイサクをからかっている場面を目撃し、再び激怒します。それを見たサラの脳裏に昔の不愉快な思い出がよみがえったのか、あるいは、奴隷が産んだ子とはいえアブラハムにとっては長男であるイシュマエルの存在が脅威に思えたのか、彼女は過剰とも思える反応を示し、夫に「ハガルとイシュマエルを追い出してほしい」と要求します。
最初にハガルを追い出したときには知らんふりを決め込んだアブラハムも、このときはさすがに悩んだ、と聖書は記しています。ハガルのことはともかくとして、イシュマエルは彼の血を分けた実子なのですから当然のことでしょう。しかし神はアブラハムに、サラの要求を聞き入れるように言います。イシュマエルのこともちゃんと一つの国民にすると保証したうえで、アブラハムの子孫として神の祝福の器になるのはイサクから出る子孫だからと、改めて、あの約束の内容が確認されました。
このことばのとおり、後にイサクの息子ヤコブに生まれた息子たちが、イスラエル12部族の族長になり、イスラエル民族は増え広がっていきました。一方、主人のもとを追い出されたハガルとイシュマエル親子は、このときもまた神の使いに助けられ、イシュマエルは荒野でたくましく成長していきます。ハガルは息子のためにエジプトから妻を迎えました。
後に、神の約束どおり、イシュマエルの子孫も一つの民族となっていきますが、イサクの子孫とイシュマエルの子孫の間には、その後も争いが絶えませんでした。神を信じきることのできなかったサラの思いつきと身がってな行動は、ハガルとイシュマエル親子を傷つけ、苦しめただけではなく、民族と民族の間に長く続く禍根を残すことになったのです。
《創世16章、21章》