《聖書バトルvol.8》その後起きた奇跡の逆転劇
ギュスターブ・ドレ作「ローマ総督邸を去るキリスト」
宗教指導者たちは、真理よりも、自分たちの権益を守ることに執着し、イエスと敵対する。
聖書を大きく二分すると、イエス・キリスト誕生前の旧約聖書と、誕生後の新約聖書に分かれます。イエス・キリストの言行録とも言える4つの福音書に描かれている時代、人々は、旧約聖書で預言されている「救い主の到来」を待ちわびていました。
当時のユダヤ社会の権力者と言えば、律法学者や祭司長などの宗教指導者たちでした。彼らは当然のことながら旧約聖書に精通し、救い主に関する預言も熟知していたはずですが、イエスがその救い主だとは夢にも思わなかったようです。彼らが想像する救い主とイエスはかけ離れていたのでしょう。
宗教指導者たちにとってイエスは、自分たちの権威を脅かす不穏な存在でした。というのも、彼らは、神に与えられた律法に、自分たちでさまざまな細かい規定をつけ加え、それを厳重に守らせ、守れない者を責め立てていたのですが、イエスは、神の本来の意図を無視した律法を押しつける彼らを「白く塗った墓」(マタイ23・27/外側ばかり重要視して、中は腐敗しているという意味)、「他人の肩に重荷を負わせ、自分ではそれに指一本ふれようとしない」などと批判しました。
イエスは、幾つもある律法の精神を要約するなら、全力を尽くして神を愛すること、そして、隣人を自分自身のように愛することだと教え、そのことばのとおりに生きました。たとえば、労働が禁じられた安息日に病人を癒やしたり、売春婦や、汚れた病とされていた病にかかっている人のように、誰も近づかない人々にも手を差し伸べました。
これらはみな、律法学者に言わせればルール違反ですが、民衆はそんなイエスに新鮮な魅力を感じ、引きつけられていきました。宗教指導者たちには、これが許せませんでした。地方出身の大工の息子が、自分たちの教えをないがしろにし、権威ある者のように堂々と振る舞うことにプライドを傷つけられ、ついにはイエスに対して殺意を燃え上がらせていったのです。
《マタイ21、23、26章》