聖書の世界に生きた人々3 パウロ-彼は近づき難い人物か コリント人への手紙第二12章9~10節
堀 筆(ほり・はじめ)
鶴瀬恵みキリスト教会牧師、聖学院大学総合研究所特別研究員・カウンセラー・講師、ルーテル学院大学常勤講師
新約聖書の中でキリストとその母マリヤなどを除けば、一般に最も知られている人物の一人はパウロではないかと思います。彼の名は高校の倫理や世界史の教科書などにも出てきますから聖書を読んだことも教会に行ったこともない人でも「聞いたことがある」と言う人は多いのではないでしょうか。彼はユダヤ教徒であったとき、キリスト教徒を迫害するためダマスコに向かう途上でイエスと出会って劇的な回心をします。その後自ら語っているように「使徒として召され」、イエスによる救い、すなわち「福音」を三度におよぶ伝道旅行とローマへの旅を通して小アジア、ギリシャ、ローマに至るまで宣べ伝えたのです。それこそ教科書風に言えば、彼はキリスト教が一民族宗教の枠を越え世界宗教にまで発展する基礎を築いた人物と言ってよいでしょう。
ところで、私はこのパウロについて、小学生のころから日曜学校に通っていたこともあって人物伝のような話を繰り返し聞いてきました。また、そのころすでに信仰をもっていた母からも、彼の熱烈な信仰と試練や患難を耐え抜く堅忍不抜の精神について教えられてもきました。教えられかたは「パウロに習うがよし」という感じでしょうか。ところが長じて聖書を自覚的に読むようになって、それまでぼんやりしていたパウロ像がはっきりしてくると、彼は私には「手も足も出ない」人物だと思うようになったのです。それは伝道の業績や結果というよりも、その信仰の強さのようなものです。彼はローマ人への手紙の中で「患難さえも喜んでいます」、また「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか……これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」とも語っています。事実彼はピリピの町での伝道の折、迫害を受け投獄されたのですが、獄中で「賛美の歌を歌って」いたというのです。すごい話です。またメッセージについても圧倒されてしまいます。たとえば「愛の賛歌」と言われるコリント人への手紙を見ると「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。……自分の利益を求めず、怒らず……」とその教えの内容は非常にハイレベルです。私は青年時代、パウロのこうした生き方や信仰の態度に深い感動を覚えつつも、自分とはほど遠い存在ではないかと思うようになっていったのです。
しかし、改めてパウロの人間性全体を丁寧に学び直してみますと、確かに偉大な人物ではありますが、彼も私たちと変わらない弱さを持った一人の人間であったことが分かるのです。たとえば伝道旅行でマケドニヤに着いたとき、彼は「私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまな苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました」とその不安な心を手紙に書いています。ピレモンへの個人書簡においては「あなたから益を受けたいのです。私の心をキリストにあって、元気づけてください」と一信徒からの励ましを求めているのです。また第二伝道旅行に出発する際には、マルコを連れて行くかどうかで同行者バルナバと意見が合わず「激しい反目となり」、互いに別行動を取るに至っています。他にも寛容とは思えないような態度が見られるところもあるのです。
私はこのようなパウロのありのままの人間性を知るにつけ、彼が身近な存在に感じられるようになっただけでなく、実はその弱さの故に神に近く生きたのではないかと思うようになったのです。彼は「大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。……私が弱いときにこそ、私は強いのです」(コリント人への手紙第二 一二章9、10節)と語っていますが、ここに彼の信仰の秘密のようなものがあるのではないでしょうか。パウロは決して近づき難い人物ではないように思うのです。