ハワイからの手紙 やさしい風に吹かれて-28 心に残る弦の音色

世界にはさまざまな弦楽器が存在します。西欧ではハープ・チェロ・バイオリン。アジアでは日本の和琴・琵琶・三味線、中国の古琴・三弦・二胡などがあります。これらの弦楽器の音色はその文化と歴史を感じさせてくれます。ここハワイの弦楽器と言えば、今日世界中で知られるようになった「ウクレレ」です。その小さな風貌と優しい音色は島の人々の心に癒しと慰めを届け続けています。

そんなウクレレ奏者の中で「ウクレレの神様」と呼ばれる日系人の方がおられます。その方こそ「OHTA-SAN(オータさん)」の愛称で知られるハーブ•オオタ氏です。八〇枚を超えるアルバムを出しておられ、あらゆるジャンルの曲を独自のスタイルで弾きこなすウクレレの巨匠です。

オータさんは七歳の時に初めてウクレレに触れ、十二歳の時に彼の人生を決める出逢いがあったと言われます。それはプロのウクレレ奏者・エディーカマエさんとの出逢いでした。オータさんいわく「本当にエディーの演奏はすべて自然の流れのように聴こえました。あのようにウクレレを奏でることができるなんてすごい!…僕は彼の演奏を聴いてからウクレレに真剣に取り組むようになったのです」と語っておられました。それから練習を積み重ね十五歳でプロの奏者になったのです。

しかし、そのオータさんは十九歳の時に軍に志願し朝鮮戦争に派遣されました。約十一年間の従軍生活を経験し、その間ウクレレから遠ざかっていました。退役後、転職を試みたのですがうまくいかず、途方に暮れた時期がありました。その時、ある中国人の友人のアドバイスをきっかけに再びウクレレの世界に戻り、最初のレコードを発表しました。「SUSHI(鈴かけ径)」、「SONG FOR ANNA」などの大ヒットを記録し、音楽界のスターとして活躍しました。それから五〇年近く今でも音楽活動を続けておられます。

幸運にも私はオータさんのもとでウクレレを習う機会がありました。楽譜をその場で書いてくださり、優しく弾けるように丁寧に教えてくださいました。私はまだ喪失経験を乗り越える途上にあり、子育てに奮闘している頃でした。そんな中でもオータさんのクラスは唯一の安らぎの時間でした。

「正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。立琴をもって主に感謝せよ。十弦の琴をもって、ほめ歌を歌え。」(詩篇三三・一〜二)

「僕はいつも手ぶらでは帰らなかったよ」とオータさんは語ります。今はとてもおおらかでゆったりとした表情をされていますが、その内側には戦士のような熱意と執念を持ち続けています。聖書の世界のダビデ王もそうでした。彼は戦う戦士の顔と立琴を奏でるミュージッシャンの顔をもっていました。それがダビデが多くのイスラエルの民に愛された一つの理由であったと言われます。私はオータさんとの触れ合いを通して、彼が戦いの苛酷さを知る人だからこそ、聴く人の心を慰める音色を奏でることができると感じました。オータさんのもつ風格から音楽という世界の深さを垣間みています。

 

 

 

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