ヘロデ大王:「王の王」を恐れる ローマ帝国支配下のユダヤを治めた権力者

マタイの福音書2章1節には、イエスが生まれた時、東方の博士たちがイエスを拝みに来たという記事が記されています。この博士たちについては、古代バビロンの近くのパルティアから来たという言い伝えもありますが、詳しいことはわかっていません。「その方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました」とあるところから、占星術の学者だったとも考えられています。
 すでに学んだとおり、政治的な画策を企て骨肉の争いの果てにやっとの思いで王の地位についていたヘロデ大王は、博士たちの「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」ということばを聞いて、自らの地位が脅かされるのではないかと大きな不安を覚えました。そこで博士たちに、「自分も詳しいことは知らないが、幼子を見つけたら詳しいことを調べてもらいたい。私も行って拝むから」と本心を偽ったことを言います。内心では、その幼子の居場所を突き止めたら殺してしまうつもりでした。
 博士たちはその後、自分たちの国で見た星に先導され、ユダのベツレヘムにたどり着き、そこで幼子イエスを見つけました。ベツレヘムは旧約聖書のミカ書で、「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る」(ミカ5・2)と預言されている場所です。
 イエスに出会った博士たちは携えてきた黄金、乳香、没薬をささげ、ひれ伏してイエスを礼拝しました。そして、夢でヘロデのところに戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰っていきました。
 一方、ヨセフの夢にも神の使いが現れ、イエスとマリアを連れてエジプトへ逃げるようにと命じたので、ヨセフたちは夜のうちにエジプトに逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにとどまりました。
 ヘロデは、しばらくして、博士たちが自分を欺いて帰ってしまったことを知ると激怒し、ベツレヘム近辺の2歳以下の男の子をみんな殺させるという暴挙に出ました。

ヘロデ・アンティパスはヘロデ大王の息子

 新約聖書に「ヘロデ」という王の名前が何度も出てきますが、年代によって異なった人物です。イエスが誕生したとき東方の博士たちと会ったのは、ヘロデ大王です。
ピラトがイエスを送ったガリラヤの国主ヘロデは、ヘロデ大王と4番目の妻アルタケの子です。使徒の働き12章に書かれている、使徒ヤコブを処刑したヘロデ・アグリッパ1世は、ヘロデ大王の2番目の妻マリアンメから生まれたアリストプロスの子で、ヘロデ大王の孫にあたります。

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